私が前職のサラリーマンIT講師を始めた頃、
生徒の中に元幼稚園教諭がいました。
私より10歳ほど若い女性です。
子供と接していたからか表情がとてもかわいくて
男女を問わず大人気の人でした。
ある日、
「たくさんの子供の面倒を見るって大変ですよね。
ぼくなんかうちの子だけで一杯一杯ですよー。」
と言ったところ、
「簡単ですよー。子供と同じこと言ってればいいんですよ。」
と。
私の頭の上で電球が光りました!
ちょっと広げて、
言う、見る、聞く、感じる、思う・・・を共有すること!
当時はコーチングとかを全く知らない時期。
この教えは私にとって新鮮で
その後の私に多大なる影響を及ぼしました。
きっと仕事と子育てで苦悶してた時期だったから
電球が明るく光ってくれたんだと思います。
2009年10月08日
台風が来ました。
東日本を中心に被害をもたらしそうです。
宇都宮市の小学校はすべて休校です。
次女の通う幼稚園では通常通り幼稚園バスが来ました。
帰りも通常通りです。
この差は何でしょう。
幼稚園の園長先生は先日私にこう言いました。
「天気がひどくても、風邪がはやっても、
幼稚園は毎日開き続けます。
働いてるご両親の予定を
乱すわけにはいきません。」
常にこの姿勢なのです。
今回の台風でも休園するということを全く想定せずに
連絡網を待つことも無く、
仕事の予定を組むことができてます。
この幼稚園は「認定こども園」(保育園と幼稚園の中間的存在)も併設しており、そのあたりの意識はとても高いようです。
この幼稚園でよかったと思います。
さて、この両者、使命の置き所が全く違いますね。
どちらがいいのかは賛否両論でしょうが、
常に態度を一定にすることはとてもありがたいことです。
私もありがたい存在に思われたいので
今後も事業の使命を明確にしていきたいと思います。
娘が玄関先で騒いでいました。
「バッタがあるいてる、こわいー」
行って見たらカマキリでした。
カマキリという生き物を知らない娘は
それを、一番イメージが近い緑色の虫、バッタだと思ったんですね。
あなたの業種も、それを知らない人にとっては、
それに似てそうな知っている業種で認識されているかもしれません。
弊社の業種は、Webシステム開発。
何者か知らない人は多いです。
さしずめカマキリです。
おそらく「IT会社」として認識されてます。
私のバッタは往年のホリエモンあたりでしょうか。
全然内情は違うんですけどね。
知らない人に説明しても理解してもらうのは大変なので
せめてその心構えで接することにしています。
太陽と地球の距離は約1億5000万kmです。
何が何だかわからないくらい遠いです。
そんな超遠いところから、太陽はいつも私に熱と光をくれます。
私とあなたとの距離はどのくらい?
100km、500km、1000km?
全然たいしたことないですね。
太陽の何分の一ですか?
計算するのも嫌なくらい桁が違います。
基本的に、みんなご近所さんみたいなものです。
SNSなんかをやってるとその一端は感じられますよね。
でもこんなに近くで引っ付きながら暮らしていながら
双方であるいは一方的に嫌っている人はいます。
何だかばかばかしい。
私の中の
「ある一定人数の人を常に嫌っていたい気持ち」
が悪さをしているってことですかね。
娘がどんぐりを拾ってきました。
まだ小さいです。
緑色をしています。
私にとってどんぐりは茶色。
緑色のどんぐりはとても異質な感じがしました。
でも、これもどんぐりです。
秋になればどんぐりも茶色く色づくことでしょう。
私もどんぐりと一緒に変わっていきます。
変わりたいと思えばすぐに
変わりたくないと思ってもゆっくりと
変わっていきます。
いつも明るいことを考えていれば明るい色に、
いつも暗いことを考えていれば暗い色に、
変わっていくのでしょう。
なんだか最近日本の社会が疲弊している気がします。
夢とか希望とかが少なくなっている気がするんです。
こんな状態だと次の世代はどうなるのでしょうか。
次の世代を元気にするには、
大人の私たちが何とかしておかなければなりません。
政治のせいにするのは簡単ですが、
やはりそれだけではないはず。
いろいろ個人がやるべきことがありそうですが、
私は、大人がもっと幸せになればいい、と思ってます。
「幸せ」は、恋愛とかお金とかのほうの意味ではありません。
心に「幸せ感」があるかどうかのほうの意味です。
たとえ物質的に幸せでなくても
常に幸せ感を持ち、
それを周囲に発することに
価値があると思ってます。
子供たちが「大人っていいな」と思える社会。
大人同士だってそれは同じ。
幸せな人を見て、自分も幸せになりたいと
夢を見られる社会。
その空気がエネルギーです。
他人の(あるいは他国の)失墜を期待してるなんて時間の無駄です。
私たちは今よりも幸せにならなければなりません。
くどいようですが、恋愛とかお金とかじゃなくて心の方です。
私は次世代のためにも今より幸せになることを目指します!
やはりうちの子も例外ではないようで、
良くも悪くも私の真似ばかり。
私は家にいるとき、
育児以外の時間はたいていパソコンの前にいます。
机は150cm幅で、デスクトップPC用デュアルディスプレイと
ノートパソコン1台が並んで置いてあります。
私がデスクトップパソコンで何かをしていると
ノートパソコンはあっという間にこどもに乗っ取られます。
上の子は
キャラクターもののサイトにアクセスして遊んでます。
下の子は
私がやっているのをみながら
キーボードを両手でバシバシ叩いたり
マウスを動かしたりしています。
携帯電話も2台あるのですが、
私がいじっているともう1台があっという間に乗っ取られます。
勝手に電話してしまうので、
アドレス帳にいれているのは被害の出ないところだけです。
不思議なことに、特に教えてもいないのに
なんとなく操作できるようになってきています。
本人たちは難しいor簡単の判断をしていないので
箸の持ち方と同じノリで覚えちゃうのでしょうね。
子供はこうしていろいろ覚えていくんですね。
私の真似が幸せにつながるのか・・・身が引き締まる思いです。
工場萌えやダム萌え、廃墟萌えなど、いろいろな人が増えてきました。
というかそういう人が表に出やすい世の中になってきましたね。
かくいう私は風萌えです。
昨日の台風は楽しませてもらいました。
風に当たっているととても機嫌が良くなります。
風のある日は家中の窓を開けます。
いっそ壁も開けてしまいたい気分になります。
雨や砂はできれば混じって欲しくないですが、
風に当たるためならばそれにさえも打ち勝てます。
春のそよ風も、
夏の焼け付く風も、
秋の台風も
冬の肌を刺す季節風も、
みんな大好きです。
春一番なんて最高です。
今住んでいる宇都宮市はあまり風が吹かないので
ちょっと物足りないです。
風力発電の仕事で起業すれば良かったかな・・・。
1時間に覚えられる量は皆違います。
1時間に考えられる量も皆違います。
1時間に与えれれるチャンスも皆違います。
1時間にできる仕事量も皆違います。
同じ1時間でも何ができるかは人それぞれです。
この「それぞれ」には雲泥の差があると思います。
すごい人は平凡な人が一生かけて身につけることを一年で身につけます。
すごくない人は平凡な人が一年でやることを一生かけてやりとげます。
同じくらいにがんばってもかかる時間が全然違います。
なんて不平等なんでしょう。
生物間にも時間の不平等はあります。
サイズの大きな(たとえばゾウ)動物は、
サイズの小さな(たとえばねずみ)動物よりも、
ゆったりとした時間の流れの中に生きている
ということが知られています。
(本川達雄氏「ゾウの時間 ネズミの時間」1992出版)
でも社会では、人間は時間当たりの生産効率を評価されます。
まるでそれがその人の価格みたいに。
「心がけ次第で・・」と言いたいところではありますが、
そういうわけでもないですよね。
地域、家庭、環境、素質、健康、都合、職業、地位などで
だいたい決まってしまうのがこの社会のようです。
webを使いこなしている方々はおおむね有利な人間側に属するのでしょうか。
不利な者からは有利な者がわけのわからない存在に見え、
有利な者は不利な者の気持ちがわからなくなりがちです。
私はどのあたりに位置しているのかわかっていませんし、
思っているだけで行動にも移せていません。
でもせめてそれを受け入れる覚悟だけは常に持っていたいと思っています。
うちの子たちの間で今だんごむしが大ブレイク中です。
家に帰ってくると庭先でだんごむし探しを始めます。
見つけると100m先まで聞こえるくらいの声で
「だんごむしぃ」と叫びます。
お気に入りのだんごむしはとっておきの場所に住ませているようです。
先日、学区パトロール当番だったので
他のお母さんたちに聞いてみたところ、
かなりの数のご家庭でもブレイク中だとわかりました。
しかも、なぜか女の子の間で人気沸騰中です。
かわいいんだそうです。
そういえば、うちの子も例の100m先まで届く声で
「かわいいぃ」とも叫んでました。
中にはペットボトルで飼っている子もいるようで、
お母さん方はみな気持ち悪がっていました。
そのパトロール中にも、ちょっとした空き地で
子供たちが道草しているのを見つけました。
遠めだったので見には行きませんでしたが、
あれも絶対だんごむし探しです。
だんごむし、かわいいですか?
人の目線に立つというのは難しいことですね。
自分の子供でもこんなふうなので、
お客様の目線に立つのはなおさら難しいです。